04

陶芸家

藤田 徳太さん

福岡県出身

陶研 第12期生(1997年修了)

自分は、高校卒業の 18 歳から陶芸を始めて今年で 31 年目。九州の出身ですが、ふとしたきっかけで常滑で陶芸をすることになったんです。

高校1年のときに九州から遠く離れた愛知県有松に叔母がいることをきっかけとして、親戚中を巡る一人旅を思い立ちました。そのとき、有松の叔母が常滑の「陶研」に連れて行ってくれたんです。たぶん自分の父親が陶芸をやっていたので、興味があるだろうと察したんだと思います。

それから時が経ち高校 3 年を迎え、周りのみんなが進路を決めていく中で、自分はどうしよかなと迷って悶々としていたとき、なにげなく陶芸の道を志そうと思いたちました。いろいろな産地の求人を電話帳で探していたところ、「常滑市立陶芸研究所」が目に入り、なんか前に行ったことあるぞって思ってさっそく電話してみました。これが陶研に入所した経緯です。

当時の研修期間は1年で、全部が新鮮でとにかくロクロをまわすのが楽しかったんですが、まだ陶芸を生業にしようとは思っていませんでした。そんな思いで 1 年はあっというまに過ぎていきましたが、周りの勧めもあり研修の延長申請を出して計 3 年間を陶研で過ごすことになりました。その後、講師だった荒木俊雄先生に弟子入りし、修行時代は厳しく貧しい生活でしたが、先生から学ぶことも沢山ありました。

手づくりロクロ急須はギャラリー店主に勧められてはじめた

それから 3 年半が経ち、思い切って独立したもののまだまだ苦しい生活が待っていました。なんとか陶芸関係の仕事を探そうと電話帳を片手に手当たり次第電話を掛け、陶芸教室の講師という仕事を獲得。もちろん自分の作陶も疎かにしたくなかったので、まずは工房探しをはじめました。たまたま見つけた物件はボロボロで屋根もなく、大家さんには修繕する余裕はないから貸し出しできないといわれる始末。それでも諦めきれなかったのでコツコツ貯めていた 120 万のうち、思い切って 90 万を修繕に充てて自分で直すことにしました。さらに、お金を掛けたのにすぐ退去というのは困るので自分で契約書をつくり、10 年契約で家賃は 1 万円ねと直談判しました。

これを機に、「 10 年の間に自分の工房を持つぞ」と誓って、陶芸教室の仕事と自分の作陶に没頭する生活がはじまりました。陶芸教室を 2 件掛け持ち、1 ヶ月のほとんどを休みなく通って生活をつなぐのに必死でした。その間も工房で夜中まで注文品の作陶をしたり個展を開いたりしながら徐々に陶芸で稼げるようになったんじゃないかな。自分の工房を持つと誓ってからちょうど 10 年、自宅と工房を持つ夢を叶えました。その間に家庭も持ったのでとにかく生活がたいへんでした。

あと、陶研の同期は窯元で環境が整っていたこともあって早く自分の工房が欲しかったていうのも必死になれた理由だと思っています。負けたくないライバルのような存在が周りにいたことは良かったですね。

美術造形作家時代の感覚が活きる醬油差し

陶芸教室の講師時代には、生徒さんにいろんな仕事や家庭環境の人がいて、トラック運転士さんの話を聞いたり、家庭の愚痴を聞いたりしながら仲良くなり、「試作の器を使ったから使ってみて」っていう交流も生まれました。当時の生徒さんは今も個展に来てくださったり、一緒にご飯に行ったりしますよ。それから、貸し工房時代にいろいろ助けていただいた近所の人たちにも、当時の感謝を忘れず今もお付き合いは続いています。

時々、「やきものは好きか」と聞かれるけど、続いてるってことはたぶん好きなんじゃないかって思っています。九州に長期間帰った時、1週間粘土を触らなかったことがあったんですが、何かさみしい気がしました。なんかヒマだなぁ、粘土さわってないと落ち着かないなぁと。そういうときに、自分はやきものが好きなんだなぁと気づく。

だけど、工房で制作しているときはそんな思いばかりじゃない。「なんか違うなぁ、ちょっと直そう。」「納期も大事、責任を果たさないといけない。」そんな重圧があって、ただ「楽しい」「好き」だけでは済まないよね。それでも何かを発見していくことを楽しんでいく。「ロクロでここをこうやれば何秒早く挽けるな」とか、「薄く挽けば削りの手間をひとつ減らせるな」とか工夫をして乗り越えていくことに楽しみが生まれてくる。

今思うと、貧しくて苦しい中でいろんな人に助けられながらも、とにかくやきものをつくることが楽しかったんじゃないかなって思っています。

修了生に聞く トップページ