常設展示

常設展示のコンセプトは、「つながる千年、ひろがる千年、暮らしの中で生きる常滑焼」。
なぜ常滑の地でやきものが栄え、どのようにして人々の暮らしを支えてきたのか、その歴史を紐解きます。

つながり展示エリア

知多半島の風土に育まれた常滑焼1000年の歴史を紹介します。
日本六古窯の一つである常滑は、平安時代末期から様々な大型製品を得意としてきた産地です。
その技術は、現在まで受け継がれています。

ひろがり展示エリア

常滑でつくられた製品は各地に広がり、私たちの暮らしを豊かにしてきました。
代表的な製品である「甕」・「土管」・「急須」の生産工程を記録した映像や陶工の知恵が詰まった道具、常滑焼を支える人々の「記憶」をご覧ください。
●製土|土をつくる
●成形|甕/土管/急須をつくる

●焼成|常滑焼を焼く
●運搬|常滑焼を運ぶ
●社会|街を支える常滑焼
●生活|暮らしの中の常滑焼

製土 | 土をつくる

原料土の採取から水簸、乾燥までに使用される道具を展示するとともに、その使い方を映像で紹介します。

古代から近世の初期までは山土を主として用い、丘陵やその裾、谷頭に分布する粘土を採取していました。近代にはいると、窯の構造が改良されて生産量が増大し、田土・畑土(田畑の下に堆積している粘土)を利用するようになります。

成形 | 甕をつくる/土管をつくる

常滑の窯仕事には道具らしい道具が多くありません。その理由は、常滑独特の技法である「ヨリコづくり」が関係しています。「ヨリコづくり」とはヨリコと呼ばれる直径10cm位の粘土の棒を肩に担いで人間がロクロに代わって輪積みをして作り上げる技法です。

明治時代に土管の成型機が普及するまで、土管は「ひもづくり」や「タタラづくり」で生産されていました。「タタラづくり」では、ひも状に伸ばした土を筒状にし、仕上げに木型を使って形を整えます。

成形 | 急須をつくる

急須は様々なパーツからなり、細やかな仕事が求められる製品です。つくり手は使いやすい道具を自分でつくり、生涯つくり続けることもあります。
作陶の様子を解説した映像と併せてご覧ください。

施釉

常滑のやきものは、無釉が原則です。釉薬を施すようになるのは近代に入ってからで、磨き砂と木灰を混ぜたアク、ベンガラとよばれる鉄粉、マンガン、食塩などが主に使われています。

仕事着

常滑の窯業はもともと農業との兼業でした。そのため土仕事や窯仕事をする時の服装は、男女ともに農業用の働き着と同じものを使っていました。常滑は甕や土管といった大きな製品が多かったため、腰に丈夫な布地で幅の広いマエカケをしているのが特徴です。

焼成 | 常滑焼を焼く

焼成の仕事は窯入れ作業から始まります。窯の中では甕でも土管でも焼き台を置いて、その上に重ねて詰めていきます。釉薬をほどこして重ね焼きをおこなうと焼き物同士が融着してしまうので、ヤワラやヘゲ、カンダマ、陶片を間に挟んで焼成します。
近代は石炭窯が常滑の窯の主流でした。そのため製品の焼け具合を確認するために、イロミを窯内に入れて調べました。また朱泥の焼き物や上質の製品には燃料の灰が被らないようにエゴロを用いています。

運搬 | 常滑焼を運ぶ

原料となる粘土、甕や土管といった商品の輸送運搬は重量があり大変でした。窯出し作業の時はタマコやトンボツリとよばれる常滑の窯場独自の道具が考案されました。また、リヤカーや小型トラックが普及する以前はテグルマが使用されました。坂道の多い常滑では犬の力も借りて商品の運び出しをしていました。

体験展示

常滑焼の生産工程に対応した体験用の模型や道具を用意しています。
動作を体感することで、見るだけではわからないことにも気が付くかも。常滑焼の面白さや奥深さを感じてください。

常滑焼製品

甕と壺

江戸時代になると茶碗や皿の生産が衰退し、一般生活用品として甕や壺が主として生産されるようになります。江戸時代になると、庶民の生活のなかでさらに需要が増します。甕は水甕、油甕、製塩用甕、藍甕、壺は梅干壺、煙硝壺(火薬壺)、種壺、お歯黒壺、酒壺といったものがあります。第2次世界大戦末期にはロケット戦闘機の燃料を製造するために呂号の大甕が常滑で作られています。人の背丈よりも大きく2000リットルも入ります。

土管

常滑では土樋(どひ)、いたちくぐりなどと呼ばれ、江戸時代後半から作られるようになります。明治時代初期には鯉江方寿(こいえほうじゅ)によって木型を使った土管の生産が始まります。常滑の土管は下水用の土管のほか、鉄道用、灌漑(かんがい)用、暗渠(あんきょ)排水用など用途が変わっても常滑焼の代表的な焼き物となりました。

焼酎瓶と硫酸瓶

常滑焼の焼酎瓶は江戸時代末期の古文書にも載っていて、古くから生産されています。今も常滑の街中で見かける焼酎瓶の原形は明治時代前半に完成しました。常滑焼酎瓶は1斗1升(約19.8リットル)入りが標準サイズで下胴部に一か所呑み口の孔が小さくあけられているのが特徴です。一方、焼酎瓶とよく似ている硫酸瓶は大正時代から作られるようになります。違いは下胴部が細くなり、呑み口の孔がなく、ネジを切った焼き物の蓋がつけられています。

狸の置物

縁起物で知られる狸の置物は信楽で有名ですが、常滑でも作られています。一般的なものは、笠をかぶり、徳利と通い帳をもつ、いわゆる「酒買い小僧」の格好をしています。狸の置物の起源は不明ですが、「酒買い小僧」のスタイルは江戸時代中頃に成立したといわれています。常滑の狸は甕と同じ「ヨリコづくり」で作られ、孔のあいた丸い目が特徴です。

屋外展示

資料館の屋外には、昭和初期のテラコッタや呂号の大甕をはじめ、大阪万博博覧会(1970年)で使用された陶製ベンチ「月のイス」など多く焼き物が展示されています。