常設展

陶板を使って窯の中をイメージしたホールを抜けるとコンコースがあります。
コンコースから展示ホールの壁側に平安時代末期から幕末までの常滑焼の甕が時代順に並んでいます。
常滑焼は中世から現代まで続く六古窯の一つで、中世から近世までの甕が時系列に沿って一堂に並んでいるのは、全国でもこの資料館だけです。

土の出会い

生産用具

ここでは原料土の採取に使用される道具をはじめとして、成形や乾燥、施釉に使用される道具を紹介しています。
古代から近世の初期までは山土を主として用い、丘陵やその裾、谷頭に分布する粘土を採取していました。近代にはいると、窯の構造が改良されて生産量が増大し、田土・畑土(田畑の下に堆積している粘土)を利用するようになります。

成形

常滑の窯仕事には道具らしい道具が多くありません。その理由は、常滑独特の技法である「ヨリコづくり」が関係しています。「ヨリコづくり」とはヨリコと呼ばれる直径10cm位の粘土の棒を肩に担いで人間がロクロに代わって輪積みをして作り上げる技法で、市の指定無形文化財となっています。

施釉

常滑の焼き物は無釉が原則です。釉薬を施すようになるのは近代に入ってからで、磨き砂と木灰を混ぜたアク、ベンガラとよばれる鉄粉、マンガン、食塩などが主に使われています。

仕事着

常滑の窯業はもともと農業との兼業でした。そのため土仕事や窯仕事をする時の服装は、男女ともに農業用の働き着と同じものを使っていました。常滑は甕や土管といった大きな製品が多かったため、腰に丈夫な布地で幅の広いマエカケをしているのが特徴です。

火との出会い

焼成

焼成の仕事は窯入れ作業から始まります。窯の中では甕でも土管でも焼き台を置いて、その上に重ねて詰めていきます。釉薬をほどこして重ね焼きをおこなうと焼き物同士が融着してしまうので、ヤワラやヘゲ、カンダマ、陶片を間に挟んで焼成します。
近代は石炭窯が常滑の窯の主流でした。そのため製品の焼け具合を確認するために、イロミを窯内に入れて調べました。また朱泥の焼き物や上質の製品には燃料の灰が被らないようにエゴロを用いています。

運搬

原料となる粘土、甕や土管といった商品の輸送運搬は重量があり大変でした。窯出し作業の時はタマコやトンボツリとよばれる常滑の窯場独自の道具が考案されました。また、リヤカーや小型トラックが普及する以前はテグルマが使用されました。坂道の多い常滑では犬の力も借りて商品の運び出しをしていました。

暮らしとの出会い

甕と壺

江戸時代になると茶碗や皿の生産が衰退し、一般生活用品として甕や壺が主として生産されるようになります。江戸時代になると、庶民の生活のなかでさらに需要が増します。甕は水甕、油甕、製塩用甕、藍甕、壺は梅干壺、煙硝壺(火薬壺)、種壺、お歯黒壺、酒壺といったものがあります。第2次世界大戦末期にはロケット戦闘機の燃料を製造するために呂号の大甕が常滑で作られています。人の背丈よりも大きく2000リットルも入ります。

土管

常滑では土樋(どひ)、いたちくぐりなどと呼ばれ、江戸時代後半から作られるようになります。明治時代初期には鯉江方寿(こいえほうじゅ)によって木型を使った土管の生産が始まります。常滑の土管は下水用の土管のほか、鉄道用、灌漑(かんがい)用、暗渠(あんきょ)排水用など用途が変わっても常滑焼の代表的な焼き物となりました。

焼酎瓶と硫酸瓶

常滑焼の焼酎瓶は江戸時代末期の古文書にも載っていて、古くから生産されています。今も常滑の街中で見かける焼酎瓶の原形は明治時代前半に完成しました。常滑焼酎瓶は1斗1升(約19.8リットル)入りが標準サイズで下胴部に一か所呑み口の孔が小さくあけられているのが特徴です。一方、焼酎瓶とよく似ている硫酸瓶は大正時代から作られるようになります。違いは下胴部が細くなり、呑み口の孔がなく、ネジを切った焼き物の蓋がつけられています。

狸の置物

縁起物で知られる狸の置物は信楽で有名ですが、常滑でも作られています。一般的なものは、笠をかぶり、徳利と通い帳をもつ、いわゆる「酒買い小僧」の格好をしています。狸の置物の起源は不明ですが、「酒買い小僧」のスタイルは江戸時代中頃に成立したといわれています。常滑の狸は甕と同じ「ヨリコづくり」で作られ、孔のあいた丸い目が特徴です。

屋外展示

資料館の屋外には、昭和初期のテラコッタや呂号の大甕をはじめ、大阪万博博覧会(1970年)で使用された陶製ベンチ「月のイス」など多く焼き物が展示されています。